動ける隙を見計らっている
次動けたら、あれをしてやろうこれをしてやろう
あれもせねばこれもせねば


食べても食べた分120%エネルギーを使い果たす
結果肉はつかない。
痩せの体力無し。


半年、1年、隙なんて見計らわずぼーっとしていれば
何かが変わるだろうか。

隙をみて動いては使い果たしてばたり倒れて
疲れた。

疲れちゃった。


ひな

精神疾患を患っているひとの猫率。

・・・高い。

どこかに逃げたい。

海がみたい。

でもこの町には海はない。


力がない。

誰かを守る力がない。

自分を守るほどの力もない。


決断することも実行に移すこともできない。

誰かの後ろにかろうじてついて歩く気力しかない。


指の先から嫌悪感が這い上がってくる。

胃が縮む、のどが絞まる。


どこかに逃げたい。

立ち上がれない。

逃げ場すらない。


『依存とは緩慢たる自殺である』

なにかの本に書いてあった。



断酒会に一度連れて行ってもらったことがある。

そのときは記念総会かなにかで近隣の県からも多くのひとが集まっていた。


本来ひとりひとり発言するそうだが前もって決められた何人かの方が発言をした。

発言内容はいかに自分がアルコールに溺れて無様であったかの懺悔である。

皆「早く人間になりたい」と口をそろえていた。


わたしから見ればみなさん立派な人間で、見かけではアルコール依存症どうこうとはみてとれない。

アルコール依存。

よく耳にするけれど、わたしは軽くみていた。

皆壮絶な過去をもっており、日々断酒と闘っている。

アルコール依存は一生もの。

死ぬまで1滴のお酒を口にしてはならないという。

1滴でも口にすればゼロから、マイナスからのやりなおしとなる。


断酒会は同じ病と闘う人々が集い、自分の全てをさらけだし自身をみつめ成長していく自助グループだ。




依存してしまったものから自らを切り離すには膨大なエネルギーが必要だ。

死ぬまでの闘いである。


わたしが依存してしまったもの。

自傷行為。

ふとした瞬間に誘惑はやってくる。

死ぬまでの闘い、なんだろう。






あふれる程の贅沢がしたいなんていつ言った


何不自由ない生活が欲しい訳じゃない

工夫をこらせば足りないものは補える


雨風がしのげる部屋が欲しい

安心して眠れる寝床が欲しい

必要なだけ食べたい

清潔な服が着たい

3匹の猫を守りたい


身の丈に合った生活でいい

身の丈に合った生活がいい



あふれる程のお金が欲しい訳じゃない


100年後の保障が欲しい訳でもない

7日後、半年後、少しだけ安心が欲しいの。









今年2月、大小あわせて10回目の引っ越しをした。
わたしは幼い頃から根を下ろす場所がない。

生きてる限り絶対の安心なんてないという。
天変地異は起こる。
人の心もうつろう。

楽園は行くのではなく自分の力で築くものだと知ってる。


でも欲しい。
今欲しい。
子供騙しでもいい。
何にも怯えることなく眠れるわたしの場所。
酒も煙草もしない。
十代でいろんな制約ができたから遊びという遊びになんて縁がなかった。
お酒も煙草もお金がかかる。
更に縁なし。

体を起こせるようになり立てるようになり歩けるようになった。
飲みに行く機会もできた。
でも完全に薬に酔った状態でお酒を入れるのは危ない。
徹底に節制。
楽しくない。

ここのところ隣人から煙草をくすねて吸う。
火を見ると落ち着く。
煙で遊ぶ。
うさばらし。
鼻の奥と口の中が苦い。
苦い。
身体から中身がずれる感覚が起きる。
自分の魂が指先まできちんと入っていない気持ち悪さ。
周りの物が全て異質なものに見える。
ラップにくるまれて存在しているような違和感。
現実感のなさ、遠さ。

中学生くらいから強く起こることが度々ある。

ある日、新聞にわたしと似たような感覚に悩み新聞に投稿している人がいた。
離人感・離人症と呼ぶそうだ。

主だった治療法はないらしい。
病院でもそれらに関して話したことはない。

専門学校時、パニック障害を発症してしまった。

原因はそのときのストレスと過労だと推測できる。


しかし、まだある。

生まれ持った気質とそれまでに形成された性格。

パニック障害になったひとは家族間のトラブルを抱えているひとが多いという。

(わたしは人格障害の診断もされている)


家にいるのが嫌だった。

家を早く出たかった。

だから夜間の専門学校を選んでまでひとり暮らしをはじめた。


逃げ出した。

何も解決せずに。


いまも解決したとはいえない。

それで病気を引きずっているのかもしれない。