高校を卒業して専門学校へ行く為にひとり暮らしを始めた。

夜間学校へ進学したので昼間はアルバイトをしていた。

わたしが発症した原因。

新しい環境、新しい生活への戸惑い。

そして、過労だったと思う。


ひとにやれることなら自分もできるはずだと思っていた。

実際、夜間部のクラスでは高校卒業して入学した私たちがいちばん幼く、

上は30歳の社会人のひとまで年齢層は幅広く、皆勤勉だった。

厳しい状況の中でみんな教室に集っていた。


最初のパニック発作が起きる直前まで

AM9:00には部屋をでて、

AM10:00~PM16:00まで休憩抜きで中華料理店で勤務(週1~2回休み)

PM18:00~PM21:00まで学校(月~木まで)

帰宅はPM10:15。


夏休みに入った頃には足があがらなくて階段も登れないほど疲れを感じていた。

だけど周りのひとはストレス性の膀胱炎になったりバイト先では声が出なくなったり倒れたり、

いろいろあっていたけど踏ん張っていた。

わたしよりもみんなずっと休みなく働いていた。





わたしだけが、こんな病を得てしまうなんて思いもよらなかった。


がんばればがんばればひたすらがんばればいいと信じ込んでいた、子供だった。

ひとにはひとそれぞれの許容量があったのに。






血液検査をしても異常はない。

肝機能が少し低下しているのと、食べないから低コレステロールであることくらい。


なんにも異常のない健康な身体。

なのに満足に動くことができない。

薬を使わないと動かない身体。


もういい加減受け入れなければいけないんだ。

なんて往生際が悪いんだろう。


すべてをあきらめて、この身体を引きずって生きていくしかないんだ。


リストカットの低年齢化が進んでいるらしい。

ある調査では8人に1人の割合いで自傷行為をしているとか。


理由はいろいろあると思う。

けれどその中にいい理由なんてひとつもないだろう。

みんな苦しくてやりきれない理由からだろう。


どうしたらその子たちを守れるんだろう。

繰り返し聴く歌
喉元まであがる悲鳴のような感情を
ららら、誤魔化す

音に溺れる。


キャンドル


7月21日(土)夏至 夜8~10時

1000000人のキャンドルナイト。


電気を消してろうそくの自然の灯りで過ごしてみませんか?というイベント。

今年は参加してみようと蜜蝋を溶かしシンプルだけどオリジナルのろうそくを作った。


このイベントは環境問題はもちろん、いろんな世界が開ける可能性があると思う。


今のほとんどの家庭はひとつ屋根の下に暮らしていても

おとうさんもおかあさんもこどもも個室で電気を点け、

テレビを観、PCを開き、ケイタイで遊んでいるんだろう。


みんなでちいさな火を囲んでわけあう。

ほんとうの幸せってきっとちいさな光をわけあい微笑みあうようなところにある。



眩し過ぎる世界で人の心の闇はより濃さを増している。

眩し過ぎる世界はきっと多くのものを見落としている。


種坊主


あさがおの種をまいた。

去年育てた5年目のあさがおの種。

例年通りたくさん花が咲いてたくさん種が採れた。

ぷるぷるとたっぷり栄養の詰まってそうな種を7つ選んだ。


1ヶ月半、以上経った。

まだ芽は出ない。

おかしい。そんなはずはない。

1つくらい芽が出たっていいはずなのだ。

あさがおの生命力はとても強い。


聞くところによるとあまりに育った気候が違うと植物も育たないことがあるとか。

今までとは全く違うところへ来たせいか。



芽の出ないあさがお。

毎年夏を一緒に過ごしたのに。


わたしも土に埋もれたまま?


あきらめて新しいのを植えたら、とひとは言う。







ネズミを水に入れる。
じたばたするネズミは溺れる。
なにもしないネズミは浮かんで助かる。
らしい。
「鬱もそうだ。だからおとなしくしときなさい」
身に染みてわかってはいるんだが、ここから早く抜け出したいとついあがく。
中途半端な体調不良。
寝ようにも眠れないこんな日は特に。
わたしのこころはなんのためにあるんだろう。
薬で押さえて消してコントロール。
わたしのこころはなんのためにあるんだろう。
薬で消し去らなきゃ生きられないものならいらなかった。

わたしのほんとうのかたちはどんなものだったの。
喉元まで膨れあがる
躰中毒で腫れあがる
誰にも吐けない
誰にも言えない

薬で殺す痛みたち、その場しのぎの手当て
薬で消す感情たち、笑ってられるよ

膨れあがる腫れあがる
止まらない思考
突破口はどこ
破裂する前に
暗闇、両手、宙を掻く。

人に対して警戒する。 

自分のことを知られるのが、怖い。


せいしんかにつういんしてるのよ。


そんな風に後ろ指をさされるのが怖い。


住んでいた町の精神科病院はいろんな噂をたてられていた。

あの駅を降りて、あの道を歩き、あの角を曲がるのが嫌だった。

あの総合病院の2階、その科の隣は小児科だった。

あの市立病院の受付に高校の同級生がいた。声を掛けられたらどうしようかと思った。


ただ部屋で寝てばかりの生活を送っていた頃、私を持て余した母が言った。

「昔はノイローゼといってね、座敷牢にいれられたのよ」

母もわたしの将来を思って追い詰められている毎日だった。



いろいろ聞こえてくることはあるけど、

わたしをいちばん追い詰めているのはわたし自身。

いちばん偏見を持っているのは、わたし自身なんだろう。